東アジア出版人会議の10年

東アジア出版人会議の10年

龍澤 武
東アジア出版人会議理事

[発端]

東アジア出版人会議は,「書物文化と交流」の長い伝統と歴史を持つ東アジアで,近年交流が停滞していることに危機感を持つ日本の老編集者3人(大塚信一・元岩波書店社長,加藤敬事・元みすず書房社長,龍澤武・元平凡社編集局長)が,東アジアの出版人・編集者たちに呼びかけ結成された,小さな民間非営利のまことに地味な「国際会議体」である。会議は2005年秋の東京会議を第1回として,東アジア各地で一年に2回のペースで開催されてきた。この4月2日・3日に開催される東京会議で18回目を迎える。この機会に旧知の『出版ニュース』清田編集長から会議の10年の活動について書くよう勧められた。「10年」などは歴史の時間としてはあっという間だが,日本も含む東アジアについていえば,この10年は大きな変化の,しかも良い方向での変化とは決していえない激変の時期ではないだろうか。この10年余,小さな国際会議体に関わってきた老編集者の拙い感想として読んでいただければ幸いである。

私たちがこうした会議の設立を思い立ったのには,次のような理由があった。3人のよびかけ人は,それぞれの社で,1960年代のある時期から2000年前後まで人文書の出版に携わった編集者だが,戦後東アジア世界の,とくに人文書の領域での書物交流・相互翻訳出版交流が絶対的に不足していることを,かねて痛感させられていたからだ。そもそも書物交流以前,東アジア各地の出版状況について,なによりも編集者としての自身の知識や情報の貧しさの反省からである。私たちがそれぞれ属した社は日本の出版社としては,中国,韓国の書物について比較的関心を寄せてきた方ではあろう。しかしそれにしても,欧米の出版社たとえばアメリカの大学出版局について複数の名をあげてその最新の動向をたちどころに説明できる人文書編集者は,最近のことはわからないが,私たちの時代には,決して少なくなかった。しかし中国や台湾の出版社について,あるいは韓国の出版についてどうかということになれば,ほとんどが絶句ではなかったか。

この会議を思い立った2000年代のはじめには,「東アジアの文化交流・知的交流」が大学や研究組織・学会あるいはマスメディアなどでブームの観を呈していた。しかし当時私たちの見るところ,多くは,たとえば日中,日韓といった,旧態依然の二国間のみの交流であったり,あるいは「交流」といいながら,一方から他方への「文化輸出」「文化」の売り込みを主要な目的とするものであったり,という事例のように思われた。さらにいえば,そこに,私たちの切実な関心であるべき各地の人文知————持続的な思考と知的探究と批判精神の成果である人文知が,いわば裏付けとして存在しなければ,「文化交流」はたんに一時代のトピックスで終わるのではないだろうか。そうした人文知は,現在までのところ,書物,本のかたちで蓄積され,継承されてきたものであろう。書物交流を欠いた,たとえば「学術交流」などは極論すれば目先の情報交換といったものにとどまらざるをえないのではないだろうか。交流ブームは結構なことではあるが,ひとたび「国際関係」が悪化すればたちまち吹っ飛んでしまうものではないだろうか。総じて私たちにはそんなふうに見えたのである。そしてこうした懸念はその数年後,たちまち現実化することになる。

[東アジアの書物史から]

翻って,前近代の東アジアには,西ヨーロッパに匹敵する,むしろそれを上回るといっても良い,長く,かつ豊かな書物文化の伝統がある。その伝統とは,この地域の書物の共有と交流の伝統でもあった。書物の交流と共有が,東アジアの各地域で独自の,多様な書物文化の展開をもたらし,それが,それぞれの地域におけるさまざまな領域での多様な知的深化を促進した大きな原動力となったことはいうまでもない。なかでも日本の書物文化が,この交流と共有のおかげをもっとも深く被っていることは論をまたないだろう。けれども,前近代の東アジア世界でさかんに行われていた書物を通じた文化の交流は,20世紀に入ると,この地域の長く険しい歴史のなかで一方通行に陥り,やがて途絶えてゆくことになった。日本の帝国主義的な侵略と戦争の歴史がそこに大きく影を落とし,さらに第二次大戦後も日本を除くこの地域では戦争と混乱の状況が続いたのである。中国では,文革とその後の混乱があり,韓国では南北分断と長く厳しい軍事独裁と民主化闘争の時代が続いた。台湾もまた長期戒厳令下にあった。比較的近い歴史を取っても,この地域の人文書出版の歩み自体が,決して平坦なものでなかった。それどころか,人文書の基礎である人文学が維持されることすら難しい状況があったといえよう。他方,日本では高度成長とバブル経済の崩壊のなかで,商業主義と効率主義が人文書出版のみならずその基礎というべき人文学,その拠点であるはずの大学をも浸食するという深刻な状況が生まれる。さらに現在,東アジア全域で,市場主義的効率主義の大波に,インターネットなどの電子メディアの影響が加わり,少部数の持続的な知的影響力をめざす人文書は,一様に危機的な状況に陥っている。

したがってこの会議は,二重の課題を必然的に負わざるを得ず,またそう考えて設立した会議でもあった。長く途絶えたままの東アジアの書物交流を促進するための方策とともに,こうした各国・地域に共通する人文書出版の苦境をどのように打開していくかという課題について,東アジアの出版人・編集者が共同で議論する〈場〉としたいと考えたのである。

[仮設的組織方針]

この会議を提起し組織するにあたって私たちは仮設的な「方針」をつくった。「仮設的」とは,右に述べたように,私たち自身に,東アジア他地域の書物・出版事情について実は「何も知らないのでは」という自覚があったからである。「方針」は概略次のようなものである。

①会議構成員は日本・韓国・中国(大陸)・香港・台湾の5地域とする。
②構成員選定の基準は,実質的に「国」単位ではなく「出版文化・書物文化」単位とする。5地域にそれぞれ独自の出版文化の伝統と蓄積があることを重視する。
③交流のもっとも遅れている「人文書」を中心とする。
④一過性のイベントで終わらせない。そのためには各地域からベストの人文書出版人・編集者個人を選び,率直な意見交換が持続的に可能な環境をつくる。
⑤日本からの「呼びかけ」ではあるが,日本が「中心」を占める会議ではないことを銘記する(国際センターは常に移動する)。
⑥当初3年間の会議開催費用(渡航費用を含め)全額を日本側が負担する(費用についてはトヨタ財団とDNP『季刊 本とコンピューター』プロジェクトの全面的支援を受けた)。

こうした「方針」をつくったのは,先に述べたように,学術交流や文化交流の多くが,日中・日韓といった“by”の,あるいは日・中・韓三国の,国単位の枠組みを超えられない「国」際交流にとどまり,真にリージョナルな問題や課題に応えることができていないのでは,という疑問が私たちにあったからである。日中韓の「国」際間文化交流ならば,そこに台湾・香港はどう位置づけられるのか。こと書物文化の観点から見た場合,台湾・香港には大陸には欠落した書物出版の重大な蓄積があり,それは独自の「読者」(「市場」といいかえてもいい)の存在とも対応しているのである。「書物」を文化交流の主題にするかぎり,書物が「国」境を越えて広域に流通していたこの地域全体の長い歴史と伝統に立ち返るべきではないかと,私たちは考えたのである。

[展開]

幸いなことに,私たちのこの呼びかけに共感し,自らの問題として,このような〈場〉の必要性を真剣に考える東アジア各地域のすぐれた人文書出版人・編集者が次々と現れた。韓国からは金彦鎬(第二代会長,ハンギル社),姜マクシル(サケジョル社),金時妍(一潮閣),高世鉉(創批),韓喆熙(トルペゲ)といった方々,中国では,80年代・90年代の中国出版界の開放的・革新的な動きを主導した編集者,前三聯書店社長の董秀玉女史(第三代会長)が中心的な役割を引き受けてくれた。さらに香港の陳万雄氏(香港出版集団総裁・当時),台湾からは林載爵氏(聯経出版発行人)が,ただちに呼応してくれた。断っておくが,この人々はいわゆる「親日派」知識人ではない。しかし4地域の出版人・編集者の共感の背景には,私たちの先輩,同僚の出版人・編集者たちが築いてきた日本の人文書出版の蓄積とクォリティに対する深い敬意があったことを特記しておきたい,と思う。たとえば韓国の金彦鎬氏は,70年代の軍事独裁政権下で出発したハンギル社にとって,「みすず書房の図書目録は暗い海を照らす「灯台」だった」と語った。董秀玉女史は,彼女にとって最も重要な著者である古典学者・作家・翻訳家の銭鍾書・楊絳夫妻の作品が,みすず・岩波・平凡社で翻訳出版されていること,さらに楊絳の傑作『幹校六記』などの日本語版の編集者が加藤敬事氏であることを知り,驚嘆したのである。こうして,2005年9月の東京会議をかわきりに,本会議と随時開催される国際事務局会議・特別委員会を中心として,率直で活発な議論が展開されることとなった(初代会長は加藤敬事氏である)。

もう一つ記しておきたい。私たちは,1990年代以降,急速に顕在化してゆく日本の人文書出版の衰退を,現役時代の後半にしたたか経験させられた。私たちが「人文書」というのは,専門の如何を問わず,読むことによって思想や歴史や文化をつねに相対的・批判的に捉えられるような本,書物の投げかける問いが読み手の思考をうながし,認識が深められ,それまでには見えなかった視点が得られるような本,つまり批判的思考のよりどころとなる本,といったごくシンプルな定義である。こうした書物を介して共に思考すること,それが書物と出版が担うべく期待された「公共性」であろう。それが日本の出版から急速に消えていったのである。この事態は,個別出版社の経営問題,いわんや「業界的危機」などというものですらなく,批判的人文学や人文知そのものの現代における危機的状態と深く包み合うものではないかと思われた。人文学は書物の蓄積なしには成り立たない。書物に媒介されないかぎり展開しない。人文知の共有はもとより,書物を「読む」という行為なしに批判的思考を深めることはできないという自明の前提が,崩壊していったのである。この危機をより深刻化させたのは,大学をはじめ社会の全知的領域の効率化・市場化・商業化であろう。私たちのこうした認識に,各地域の出版人・編集者はただちに同意した。どの地域でも同様の事態が深刻化していたのである。では出版人・編集者は協同して何ができるのだろうか。

[東アジア読書共同体と『東アジア人文書100』]

議論を重ねるなかで,私たちは,かつて東アジア世界に存在した書物を「共有」し,時空を超えて同じ書物を「読み」,しかも異なる思考の「深化」を遂げてきたという関係を「東アジア読書共同体」と名付け,現代におけるその再現のために,何を為すべきなかという課題意識を共有することとなった。会議の一つの成果として,東アジアの人文書100冊を共同で選び,解説書を編集して日・韓・中(簡体字)・台(繁体字)版で刊行することにした。解説書の日本語版は『東アジア人文書100』と題され,2008年にみすず書房から発売された。過去50~60年の間に出版された書物のなかから,それぞれの地域の歴史・芸術・文化・社会の問題を深く掘り下げた書物を選ぶ,というのが選定基準である。専門領域をこえて多くの読者に,長期にわたって読まれ続け,影響を与えてきた書目でもある。ここにあげられた書目の翻訳という点でいえば,日本は他の地域に比べると,戦後,人文書出版の活況が比較的長く続き,そこでの蓄積がある分やや優位にあった。書目のうち少ないながら何点かは日本ではすでに翻訳刊行されているのである。とはいえ,全体からいえば,ほとんどが互いに翻訳されていないばかりか,専門家以外にはその存在すら知られていない書物である。この選定作業のなかで,近過去の互いの書物事情が鮮明に浮かび上がってきた。たとえば,中国大陸の人文書出版には大きな断絶があり,50年を通して中国の人文知の流れを把握するには,台湾・香港で出版された書物がどうしても不可欠であること,日本の人文書をよく知る韓国の出版人たちには,日本のような蓄積のない韓国で書目を選定することがきわめて困難な作業であったこと,そして日本では,ここで選ばれた書目のほとんどが,もとの姿では市場からも「読書界」からもとうに姿を消していて,いわば蓄積の忘却が急速に進行していること等々である。しかし何よりも重要なのは,このガイドブックのなかで,台湾の林載爵氏が次のように記していることである,「私たちは台湾で,日本や韓国の知識人たちが何を思考し,どのような問題に直面しているのか,そしてどのような答えを導いているのか知るすべがない。同じように,日本や韓国において現代中国の思想をどれだけ理解しているのかは疑問である」と。董秀玉女史は,この発言を引用して,さらにこう付け加えている,「中国大陸でもこの問題は次第に顕著になっている」「近年,出版交流はますます商業化の傾向にあり,流行小説と実用書の増加が加速している」「私たちは,ともに人文図書出版の危機に直面している」と。私たちは書目選定の議論を重ねるなかで,20世紀後半の東アジアで,どのような本が読まれ,評価を得てきたのか,その影響はどのようなものだったのか,お互いにほとんど知らないまま,書物文化のコアが失われていくという危機的事態のなかにいることを実感させられたのである。

ガイドブックの刊行に引き続いて,会議では,100冊の相互翻訳出版の推進にも着手することとなった。中国では四川教育出版社が100冊全巻を刊行する計画(中国で刊行されたものの新版を含め)が進行している。韓国でも複数の出版社で翻訳作業が進められている。ちなみに,中国で最初に翻訳出版された100冊書目中の日本の本は,『自動車の社会的費用』(宇沢弘文,岩波新書)である。『都市政策を考える』(松下圭一,岩波新書),『精神史的考察』(藤田省三,平凡社ライブラリー)なども翻訳が進行している。中国の出版人がこうした書物から翻訳出版にとりかかっているのは,かつて日本で大きな影響力をもった批判的人文知から現在の中国社会批判のための手がかりを得て,それを中国の読書人に伝えるためであることはいうまでもない。

[会議の現状と18回東京会議について]

現状でとくに注目すべきは韓国メンバーの活動である。韓国では,東アジア出版人会議での議論を踏まえて,会議のコアメンバーたちが中心となり,韓国政府文化観光部・坡州市等の支援を得て2012年に本格的なアジア出版賞(著作賞・企画賞・美術賞・特別賞の4賞)を創設した。過去3年の間に,平凡社『東洋文庫』(特別賞),和田春樹氏『日露戦争 起源と開戦』上下(岩波書店,著作賞),東京大学出版会『海から見た歴史』全六巻(企画賞)が受賞している。さらに「国際出版フォーラムの設置」,「交流を通じた若手編集者の育成セミナー」の開始等,会議で提起された事業が次々展開されている。問題は日本だが,2014には,3年ごとに交替してきた会長職と国際センターを再び日本が引き受けることになり,会長(第4代)に筑摩書房社長の熊沢敏之氏が就任した。熊沢氏は,第1回東京会議のメンバーだが,2010年の台湾・花蓮会議から本格的に参加し,2011年12月の東京会議(明治大学共催)で,『ちくま学芸文庫』を素材に,現代の人文書出版が焦点化すべき課題を鮮やかに提示するすぐれた発表で東アジアの出版人・編集者たちに感銘を与えた。また熊沢氏の会長就任を機に,かねてよりこの小さな会議体の活動に注目されていて,『東アジア人文書100』を読み,さらにその中の何冊かを実際にも読んでくださった炯眼の出版人・相賀昌宏氏の呼びかけで,小学館をはじめ数社の出版社・出版関連企業その他から日本での開催費用などの支援を受けることができた。第18回目の東京会議は国立情報学研究所の協賛を得て一ツ橋講堂で開催される。第1日目(4月2日)に,この数年,会議でも何度か議題としてきた,電子書籍問題について,「電子読書の可能性」と銘打って公開シンポジウムを予定している。また第2日目は「翻訳をめぐる諸問題」をテーマとする会議(原則非公開)を予定している。プログラムの詳細等は下記のURLをご覧いただきたい。
http://eapc.tokyo

(『出版ニュース』2015年3月中旬号に掲載)