『本でつくるユートピア』書評

『本でつくるユートピア』書評

加藤 敬事

韓国の代表的出版人、金彦鎬(キム・オノ)氏の自伝的回想である。これほど本の力を信じ、大きな夢を描いた人もまれだが、彼はその夢を実現した数少ない人だ。
もともと韓国の日刊紙「東亜日報」の記者であったが、時は朴正煕(パク・チョンヒ)の軍事独裁の時代、言論の自由を求める彼は新聞社を追われ、激動の韓国現代史のただ中に出版人として飛び込むことになる。
1976年に創立した小さな出版社、ハンギル社は今や韓国を代表する出版社の一つになった。ハンギルとは「一つの大きな道」という意味だそうだが、彼の半生がまさにそうである。「一冊の本は時代と社会を変える」と言い、それをみずから実践してみせた。
金氏が編集者として担当した故李泳禧(リ・ヨンヒ)氏は時代を象徴する知識人であった。その著書「偶像と理性」を出版すると、著者は投獄された。偶像の支配する闇の時代から、理性の光に照らされる時代への扉を開こうとする本、とすぐに知れたのである。
金氏が企画した「解放前後史の認識」も発禁処分を受ける。韓国の「解放」とは日本の「敗戦」である。「解放」の歴史的理解とは、なぜ南北分断の悲劇が生まれたか、というアポリア(難問)への一大挑戦だった。
この二つの例を見ても分かるように、87年の韓国の民主革命に至る道は本で敷き詰められていたのである。そこには著者と読者と編集者がつくる共和国が確実に存在した。3者の集う勉強会の写真からその熱気が伝わってくる。
「本は国境を超える」と言う彼の眼は広く海外にも開かれている。90年代に入ると、質の高い日本語の本を韓国語訳して出版した。例えば、塩野七生「ローマ人の物語」や堀田善衛「ゴヤ」のような大作も手がけた。特に前者は300万部の大ヒットとなった。
東アジアの優れた本に光を当てる出版文化賞を設けるなど、彼の夢の事業は、不況に苦しむ東アジアの出版界にあって、ひときわ輝いている。